(気の毒にもその浴槽の美女は、興奮のためか寒さのためか失神してしまい、それでパーティーはお開きになっただけでなく、密告する者があって、キャロルは禁酒法違反のかどでアトランタ刑務所に一年間服役するはめになって「世界を民主主義にとって安全な場所にする」(ウィルソン)ためにヨーロッパに送ら鞄鵬飼陥れたのであったが、『武器ょさらば」のヒーローは、砲撃から身を隠す蓮壕の中で白々しく醒めていた。
「神聖とか栄光とか犠牲とかいった言葉や空虚な言いまわしを聞くとぼくはきまってまごつくのだ。
ぼくらはそういう言葉を聞かされたことがある、ときには雨の中に立っているのでほとんど聞きとれず、従って大声でわめいた言葉だけが聞こえてきた、またぼくらはそういう言葉を読んだことがある、ビラ貼りがほかの布告の上に貼りつけていった布告の中に書いてあった、それも遠い昔のことだ、しかもぼくは神聖なんてものを見たことがなく、栄光を持つといわれているものに栄光なんぞありはしなかったし、犠牲とはシカゴの屠殺場みたいなものだった、ただ、肉をとらず、埋めてしまうところがちがうだけの話だ」。
幻滅を味わい、極度の緊張の中で堕落の味を覚えて帰ってきたのは、大陸に出兵していた若い兵士たちだけではない。
戦争が終わったいまは、古い世代たちも、かつての真理や価値にたいして不安を覚え、疲れきって慰安を求めていた。
また、そのころ発達してきた電化製品は、女性を家事から解放し始めた。
女性の社会への進出も進んだ。
すべての人々が「自分自身の生活」をとりもどしたいと思っていた。
ドレスにちょうどよいとデパートが宣伝するようになった。
さらに母親を嘆かせたことには、少女たちは靴下を巻き下ろし、はだかの脚を人目にさらすようになったのである。
かつてはその道の女に限られていた化粧品も、いまでは銀幕のスターをまねて、誰でもが使ってよいものになった。
しかし一九二○年代は、アメリカの精神構造を「二つのアメリカ」(ドス・ハソス)失われた世代に引き裂きつつもあった。
一つは、移民に敵対的で、「労働者」に懐疑的で、セックスと肉体的なものに抑制的で、プロテスタント的根本主義に厳格なアメリカ、繁栄の中に出現してきた多数の保守的中産階級のアメリカであった。
ウイリアム・アレン・ホワイトが言ったように、中産階級が増殖しつつあった。
それは、上層部においては企業の富を吸収しつつあり、下層部においては、より高い賃金とよりよい食事とよりよい住居を享受し、以前のどの中産階級世代も経験した一}とのない豊かさで、よりよい衣服をまとい、子どもを教育していた。
もう一つは、知識人、芸術家、作家、自由主義者、過激派、および「労働者」のアメリカであった。
とりわけ知識人にとって、二○年代は混乱と苦悩に満ちた時代であった。
多くの若い作家、詩人、評論家たちは、第一次大戦の終了とともに理想を見失い、アメリカ文化の浅薄さに絶望してヨーロッ・ハを放浪した。
パリのガートルード・スタインのサロンに出入りしたアーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッヅジェラルド、ジョン・ドス。
ハソスらの文学者は、大人になりきらない若さの象徴であった。
若さとは反逆であり、反逆とは性道徳への挑戦と、宗教と田舎の道徳に抵抗し、法律に違反して酒を飲むことであった。
一九二○年代は、「ジャズの時代」「もぐり酒場の時代」「燃え上がる若者の時代」、そして「砲峰する二○年代」となっていつ彼女から「失われた世代」と呼ばれるようになり、その言葉はそのまま時代に苦悩する知識人を意味するようになっていった。
彼らはやがてアメリカに帰ってきた。
しかし、帰ってみると、アメリカは金銭狂の国になっていた。
中産階級、あるいは大衆は、彼らなりに新しく没頭できるもの、新しいフロンティアを与えてくれるもの、とりあえずは自らを忙しくし、家族を喜ばせ、アメリカを誇らしく思う国にしたててくれるものを発見していた。
それはビジネスに没頭することだった。
しかし、知識人たちにとって、そういうアメリカの姿は、何かけがらわしく、いかがわしいものに映った。
彼らは、「アメリカ人であることの意味」を、どこまでも問い続けた。
競争と物質的成功、という通俗的な答えが真の答えでないことは明らかだった。
フランスのダダイスト、イタリアの未来主義者、ピカソ、ストラピンスキー、マルクス、フロイト、ユングの間を際限なく回り、次第に閉塞感を強めながら、芸術的な高揚を見せていった者もいた。
ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジに集まり、酒を飲み、セックスと乱痴気・パーティーにふけり、絶望して自殺していった者もいた。
ページ・スミスが言うように、この時代の最大の悲劇は、二つのアメリカが深く遠に胸加ァく引き裂かれていったことだった。
アメリカの上流階級は、もともと「大衆」の粗野さと下品さを軽蔑し、「下層階級」あるいは「危険な階級」を恐れ、信用せず、機会があればヨーロッ・ハに逃避した。
しかし、学問があり、知識があり、意識の解放された新興知識階級が、抑圧され、閉塞状況にあり、ピューリタン的根本主義者で、フロイトもマルクスも近代哲学も知らず、芸術を信用せず、人種差別を含め偏見に満ちたアメリカの多数派の中産階級に対して、軽蔑と廟笑を浴びせるなどということは、まったく前代未聞のことだった。
二つのアメリカの断絶は、一九二○年に殺人のかどで捕らえられ、七年間にわたって法廷闘争を続けた二人のイタリア人、二コラ・サッコとバルトロミオ・ヴァンゼッティの事件をめぐって頂点に達した。
サッコとヴァンゼッティは、自分たちが無政府主義者でイタリア人であるがゆえに、正当な裁判を受けられないでいると主張した。
国論は二分されたが、結局、無政府主義・共産主義に本能的な恐れを抱き、人種差別を捨てきれないアメリカは、二人を有罪と断じ、処刑した。
ハーヴァード大学教授フィーリックス・フランクファーター(後に二ユーディール政策に影響力をもち、三九年に最高裁判事となる)は、他の多くの知識人とともに、そのアメリカに深く絶望し、憤り、悲しんだ。
大衆に絶望した新しい知識階級の一部は、大衆との接点を失って一種の聖職に舞い上がっていった。
彼らは、同胞である何百万人もの男や女の尊厳を認め、その生活に共感し、彼らを教え、指導し、鼓舞するのではなく、大衆には分かるはずのない神秘性や新しい「科学」を掲げて彼らの上に君臨した。
彼らにとって分かりやすく話すことは、安売りすることであり、程度を落とすことであり、倭小化を意味することとなった。
彼らは、一様に、社会に働きかけてその変革を図ろうとはせず、自らの芸術的感性の世界に閉じ篭った。
そうして、たしかに彼らはアメリカの小説、評論、戯曲、詩、絵画の世界に大きな足跡を残した。
アメリカの文学、芸術がこのときほど高揚を見せたことは、前世紀の中頃以降絶えてなかったことだった。
しかし、大衆に絶望し、大衆を郷撤し、軽蔑し、大衆から遊離した知識人たちに、その後に訪れた中産階級と農民の現世の苦悩を救うべき力はなかった。
ヘンリー・メンケンとジョージ・ネイサンは一九二四年に『アメリカン・マーキヘンリー・ユリー』誌を創刊した。
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